米国支部長通信の最近のブログ記事

ラティーナの勝利

原田志保|2009年12月11日

やや旬を過ぎた話題ではありますが、オバマ大統領の就任をもって始まった感のある2009年を終えるに当たり、米国史上初のヒスパニック系最高裁判事ソニア・ソトマイヤー女史をめぐる議論について振り返ってみたいと思います。オバマ大統領と同様、ソトマイヤー女史の登場は「カラー」如何に関わらず能力と努力次第で活躍の場が与えられる新しい時代を象徴しているといえます。
 
究極の法治国家である米国において最高裁は、人工中絶の問題など国民生活に深く関わる事柄の合憲性、合法性の最終判断をくだす重要な機関ですが、判事は終身制です。死去や辞職により空席ができると、この永続するポストに大統領が誰を指名するのか、その政治的判断に大きな注目が集まります。議会の承認が必要になりますが、承認投票に至る前の公聴会においては、たいがい野党側からの厳しい質問にさらされます。
 
米国法曹界が資格十分と太鼓判を押したソトマイヤー女史の任命に対し、案の定共和党側(同女史は民主党のオバマ大統領の推薦)は激しく反対をしました。批判の焦点は、同女史が純粋な法的判断ではなく、こうあるべきという価値観に基づいた判断をするのではないか、ということでした。人々の生活に直結する判断を下す最高裁には、能力に加えて多種多様な背景を有する法律家を入れたいというオバマ大統領の言を逆手に取ったともいえます。また、ソトマイヤー女史がたびたび講演会などで、「賢明なラティーナ(ヒスパニック系の女性)」は、「白人男性」よりも、豊富な人生経験を基にしたより良い法律判断ができる、というような趣旨のことを述べていることも、保守派の神経を逆撫でしたようです。
 
上記の発言に関し同女史は、ヒスパニック系の女学生への講演の中で、彼女達を鼓舞するために言ったものであるが、結果としてあまり効果的ではなかった、というような趣旨の弁明をしています。しかしながら個人的には、女性が女性であることを否定せずに、従来男性の牙城であった法曹界でも活躍できるようになった現実を反映した発言ではないかと感じています。一般的にも、公聴会はほとんど関心を集めなかったようです。新しい時代を体現するソトマイヤー女史に対し、本質とかけ離れた質問しかできない白人中高年の上院議員を見て、時代錯誤もはなはだしいと国民のほとんどが直観的に感じたからではないでしょうか。
 
1981年に初の女性最高裁判事に就任したサンドラ・デイ・オコナー女史は、「年老いた女性」も「年老いた男性」も(同様の法的議論を経れば)同じ結論に達すると述べたそうです。自身の性別を極力前面に出さないよう配慮した姿勢といえるでしょう。それから約30年経った現在、誇らしげに自らをラティーナと呼ぶソトマイヤー女史を見て、オバマ大統領の当選に優るとも劣らない、多様化の勝利だと深い感銘を受けました。

アメリカン・ドリームは健在か?−その2

原田志保|2009年6月22日

アメリカ社会に厳然と存在する所得格差と教育格差、にも関わらず依然として喧伝されるアメリカン・ドリームとのギャップへの怒りを前回記しましたが、先ごろアメリカン・ドリームに関する面白い調査結果を目にしました。所得階層の上昇を可能にする経済的(社会的)流動性の存在をアメリカン・ドリームの根幹として定義し、その流動性が信じられているほど高くはなくなっているのではないか、という問題意識から、さまざまなデータ収集、意識調査を行っているEconomic Mobility Project が、本年1月に全米各地で行った意識調査の結果を発表したものです。   
調査結果のうち、以下の点が目を引きました。
 
 • 不況の真っ只中にある現状にもかかわらず、アメリカ人の大半が自分達の経済的(社会的)流動性に対して、楽観的である。72%の回答者が向こう10年間で自分達の生活状況が改善すると信じていると回答し、62%の回答者が、子供の世代が自分達よりも高所得階層に登ることができると信じている。
 
 • また、ほとんどの回答者が、生まれ育った環境(両親の経済力など)や外的な経済状況(不況など)ではなく、自らの努力やハングリー精神が、自分達の経済的 (社会的)流動性と機会をコントロールすると信じている。
 
 • 回答者の大半が、高所得階層の存在や、そこから生じる不平等を是正することよりも、低所得階層のアメリカ人に所得階層を上昇する機会が与えられることのほうに重点をおいている。
 
自助努力を美徳の一つと数えるアメリカ人を象徴するような調査結果でしょう。その他の調査結果に、国の介入は良い効果よりも、悪い効果の方が大きくなる、と答えた人が多かった、というのもうなずけます。
 
日本では、突出した富裕層や成功した人たちをやっかんだり、中傷したがる傾向が強いような気がしますし、格差社会が大きな問題として取り上げられる際には、どちらかというと増大した高所得階層の富をどのように再分配するかという視点で語られることのほうが多いのではないでしょうか。
 
私自身は、ずば抜けた富の形成という形での「ドリーム」を生み出さないとしても、日本あるいはヨーロッパに見られるような、手厚いセーフティ・ネットがある社会のほうが、好ましいと考えています。しかしながら一方で、アメリカ社会が持つ、上記の調査結果に見られるような底強い楽観主義と他人はどうであれ、自分がとりあえずがんばらなければならない、というまさに「独立自尊」の個人主義が、国とその社会に大いなる活力を与えるものであり、うまく日本のような社会にも取り入れることができるのならば、大いにけっこうなことだとも思うのです。

アメリカン・ドリームは健在か? −その1

原田志保|2009年6月 2日

いまや悪名高き米国の住宅市場ですが、日本と違い中古市場が発達しており、ライフステージ、あるいは仕事の事情により、家を買い換えて引越しをするのは一 般的なことです。その際、経済的な事情で選択の余地がない家庭はともかく、通常子供を持つ家庭が住宅を購入しようという場合、まず第一にチェックするのは その区域の学校のレベルです。

米国においては、学校の教育レベルとそ の区域に属する住宅の不動産価格が完全に正比例の関係にあります。にわとりが先か、たまごが先か、という議論になってしまうかもしれませんが、価格の高い 家を購入することができる裕福な家庭では、親が教育熱心であり、片親が働かなくてもよいため、学校に対する関与も高くなり、それだけ学校の教育レベルにも 肯定的な効果を及ぼします。学校のレベルが高くなれば、それだけその区域の住宅に対する需要もまた高まり、価格も高く維持されるというわけです。

こ うした現象の背景にあるのは、米国における教育行政が、中央集権的な日本とは対極にあり、地域レベルで行われているという事情です。州レベルよりもさらに 細かく公立学区が分かれ、それぞれが教育指導要領と教育予算を管轄しており、連邦政府が全国一律に一定水準を担保するということはありません。その結果、 経済格差が教育格差に結びついてしまうのです。特に、州の教育予算の財源である固定資産税が取得時価格に抑えられているカリフォルニアでは、州政府から与 えられる予算が低いため、この格差が先鋭化しています。例えば、音楽、美術、体育、図書室、といったいわゆるコア科目(算数や読み書き)以外の教科は、裕 福な地域ではそのほとんどが親からの寄付でまかなわれており、寄付がほとんど期待できない区域では、コア科目において生徒に求められる最低限の水準を維持 するのが精一杯といわれています。日本でも格差が広がっており、区域によって学校の質が異なるということなども耳にしますが、アメリカに比べれば、良きに つけ、悪しきにつけ、はるかに均質な社会であり、手厚い義務教育への均等なアクセスという面からも、格段に恵まれていると思います。

良 い教育を受け、努力をすれば、出自に関係なく何でも可能であるのが「アメリカン・ドリーム」のはずです。しかしながら、初等教育の段階から存在するこのよ うな格差は、必然的に社会的経済的階層を固定化し、低層のコミュニティから上層へと這い上がるのは並大抵のことではありません。Land of opportunity-チャンスのある国―とテレビや映画でもてはやされるのを見るにつけ、そんなものは幻にすぎない、と一人憤っておりました。

ファースト・レディー

原田志保|2009年4月 7日

連日新たな難題に直面しているオバマ大統領ですが、まだその人気は衰えを見せていません。一方、オバマ氏に優るとも劣らず大人気なのが、Mommy-in-chief(母親総司令官)になると宣言した、ファースト・レディのミシェル・オバマです。
オバマ夫人がファースト・レディとしてどのような役割を果たすのかについてはよく議論されることですし、本人もまだ模索しているところだと思います。過去 のファースト・レディで比較の対象になるのは、同じように高学歴とキャリアを誇っていたヒラリー・クリントンでしょう。ホワイト・ハウス内に専用の執務室 を持ち、医療保険改革チームを率いる公式の役割を担いましたが、大きな反発を買い、改革の試みも失敗に終わったのは有名な話です。二人を比較して私が個人 的に思うのは、クリントン夫人が「何か背負っている」ような印象を与えるのに対し、オバマ夫人が極めて自然体だということです。これには性格の違いもさる ことながら、二人の世代の差が反映しているのではないでしょうか。
 
1972年にロー・スクールを卒業したクリントン夫人は、まさにウーマン・リブ運動の申し子です。クリントン氏の選挙のため、時には一歩下がって夫を支え る妻としてのイメージを打ち出したりもしましたが、文字通り二人三脚で選挙を戦い抜き、クリントン氏が大統領に就任した後も同氏が最も信頼し、かつ恐れて いた側近は夫人であった、とよく言われます。一方、オバマ夫人は、あくまでオバマ氏を支え、二人の娘達を育てることに専念するという姿勢に迷いが見られま せん。内助の功というやや古めかしい言い方が意外にもしっくりあうのがオバマ夫人なのです。恐らく、ヒラリーという先例を見ているので、同じ批判を招かな いよう気をつけているのでしょう。さらには、オバマ氏の妻というだけではない、という自他共に認めるアイデンティティを既に築いてきたという自信が感じら れます。そのような自信を彼女が醸成することができたアメリカ社会は、ヒラリーに代表されるパイオニア世代が、様々な分野で女性の活躍の場を切り開いて いったところなのだと思います。
 
オバマ夫人と同世代の私ですが、日本の職場における女性の範疇からすると、雇用機会均等法第一世代であり、ヒラリー・タイプに属します。女性として、とい うよりもほとんど「男」と化して、彼らに負けないよう常に気負い、肩肘張ってがんばってきた世代です。しかしこの世代の奮闘は、個々の成功事例は生み出し たものの、優秀な女性が職場でも、家庭でも、オバマ夫人のように自然体で活躍でき、かつ必要に応じてその間を行き来できる社会の実現には結びつきませんで した。
 
女性が、社会の一員としてその能力と可能性を最大限に活かすと共に、個人としての幸せも追求することができるような社会を実現してこそ、少子高齢化がもた らす課題を克服する道筋の一つが見えてくるはずです。そうした社会の実現のためには何をすべきなのか、我々女性だけでなく、男性も含めて引き続き議論が継 続していくよう願っています。

ベイビー、ベイビー

原田志保|2009年2月10日

ニューヨーク・タイムズ紙の週末雑誌に、同紙の女性記者が体外受精と代理母を利用して「自分の」子供を「生んだ」ルポを書き、ちょっとした反響を呼んでい ました。自分達の悩みや苦しみを代弁してくれた、と同じく不妊に悩む女性達からの賛同の声よりも、反発や嫌悪、怒りに近いものが多かったように思います。
 
記者が、20歳も年上の裕福なビジネスマンを夫に持ち、ファッション取材を専門とする美人記者で、ほとんどナルシストのように自分の「不幸」な経験を綴っ ていたからでしょうか?恵まれない境遇にあり、養子縁組を心待ちにしている多くの子供達がいながら、自分の遺伝子にこだわるのが、自然に逆らったわがまま とみられたからでしょうか?生まれた赤ん坊を抱き、緑もまばゆい瀟洒な別荘の前で、黒人の乳母を後ろに従え立つ同記者の写真を載せ、同僚でもある彼女を容 赦なく浮世離れしたお姫様のように扱った編集部への怒りでしょうか?
 
いずれも私自身が感じたことですが、上記以外に最も印象的だったのは、米国社会を支える屋台骨ともいえる中間層に何が起きているかが浮き彫りになっていた ことでした。代理母となった女性は、会社勤めの典型的なホワイトカラーの夫と暮らす、大学も出た女性ですが、子供達の学費や生活費の足しにするため、自分 の子宮を「レンタル」し、彼女の娘も大学の費用捻出のため卵子ドナーになっていると記事にありました。いずれも女性の身体に多大なる負担を課すものであ り、気軽にできるアルバイトとは違います。人助けでもあるから、という理由付けをしながらとはいえ、金銭的なインセンティブがなければ、あえて赤の他人の ためにすることでしょうか?しかも、ほかでもない、教育費というミドルクラスにとって必須の費用のためです。
 
技術の進歩によって、生殖医療という肉体的、精神的、そして倫理的に極めてデリケートな分野における個々人の選択の幅が広がることは歓迎すべきことです。 しかしながら、その選択(とりわけこの記者のように最も極端な選択をしている場合)を可能にするシステムが、社会的経済的格差の存在を利用し、それを所与 のものとして成り立っているとしたら、個人の権利として片付けることなく、もう少し幅広い、社会的な視野に立った議論が付随するべきで、当該記事に欠けて いた視点だと思います。

オバマ政権誕生に想う

原田志保|2009年1月21日

あらゆる意味で歴史的な選挙戦を勝ち抜いたバラク・オバマ氏が、第44代米国大統領に就任しました。昨年11月にシカゴで勝利を宣言したオバマ氏が、米国 における希望の再生を誓い、yes we canと25万人近い群集と共に唱えるのを見て、涙を流したのは私だけではないでしょう。当選の翌日、スターバックスで黒人のバリスタにおめでとうと声を かける白人男性の客、日系スーパーで、とうとうやったわ、と喜び合うアジア系の客とレジの店員、など、人種を超えて、米国史上初の黒人大統領の誕生を喜ぶ 姿が見受けられました。
 
人種差別は終わったのか、ということがたびたび議論されるほど、人種の問題が、差別の有無とは独立して、厳然として米国社会に存在することを実感します。 私自身、白人と結婚して、白人が9割近くを占める街に住むようになり、自分の人種を初めて意識するようになりました。国際性が高く、ある意味日常生活から は切り離された大学院留学時代には感じなかったことです。「有色人種」が大統領になった、ということにこれほどまでも、「よくぞやってくれた!」と喜びを 感じるとは正直自分でも意外でした。しかしながら、米国の社会がどれほど問題を抱えていようとも、意思と能力があれば、主流からはずれた「雑種」でも大統 領になれる、その社会のダイナミズムには感嘆すべきものがあります。日本を含めて、世界のほかの国には類をみないでしょう。
 
自 分はロールシャッハ・テストのようなものである、とオバマ氏自身が言うように、様々な人が全く異なる期待を寄せている同氏の政権運営は、米国が現在おかれ ている状況からして、決して容易なものにはならないでしょう。それでも、シニカルな評論家達すらもまずは前向きに評価したオバマ大統領の誕生は、新生アイ リスで女性の新しい働き方を模索する私たちにも、Yes We Canと、張り切る力を与えてくれるような気がしています。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち米国支部長通信カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは数字で見る女性問題です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。